<モデル企業:有限会社モメンタムファクトリー・Orii>
企業について
前身である「折井着色所」は1950年に創業、分業制である高岡銅器の最終工程である「着色」を下請けとして長い間行ってきた。
伝統産業⾼岡銅器の着⾊技法を応⽤して、これまで難しいとされてきた1mm以下の薄い銅板に着色できる技法を確立し、クラフト雑貨としてのインテリア分野、内装外装としての建築分野、アクセサリーやバック類のファッション分野への展開を進めてきた。
後継者も激減し業界の2世・3世が異業種へ移り、益々担い⼿が不⾜している中で新たな事業を開拓することによって「伝統⼯芸は⼤変・儲からない」などのイメージから脱却し、やり⽅や⽅向性によってはビジネスチャンスにもつながるということPRしてきたことで、異業種からの転職や全国からものづくりに携わりたいと若⼿の⼈材が移住してきており、スタッフの平均年齢は35歳、現場の職人は20~30代が中心になっている。
SDGsについて
関連すると思われるSDGsゴール番号
参考:農林⽔産省HP https://www.maff.go.jp/j/shokusan/sdgs/sdgs_target.html
伝統産業高岡銅器の伝統技法を応用した新たな発色技術による
建築・ファッション分野等への展開とUJI ターン受け入れによる後継者の育成
伝統工芸高岡銅器の着色とインテリア・建築建材の製造販売を行っております。前身である「折井着色所」は1950年に創業、分業制である高岡銅器の最終工程である「着色」を下請けとして長い間行ってきました。
私が地元の高岡に戻り稼業を継いだのはバブルの崩壊によって日本経済の流れが変わりはじめた頃、産地問屋の販売力が衰え、モノに対する価値観が変化していくなかで“このままでは日本の伝統産業は廃れてしまうかもしれない”という危機感を抱き、職人自らが商品を開発し発信できるようになればと「モメンタムファクトリー ・Orii」に社名を変え再スタートしました。
従来の高岡銅器着色はブロンズ像や香炉など美術工芸品に多くあるように鋳造した厚みのある鋳物にしか適用できなかったのですが、試行錯誤を重ねた結果1ミリ以下の薄い銅板に着色できる技法を確立することができ、材料も少なく軽くて使いやすい現代のライフスタイルに沿ったものづくりが可能になりました。1点ずつ手仕事による色は他に二つと同じものはなく、唯一無二の製品や技法を様々な媒体で発信したことで、全国から「着色をしてみたい」「ここで働きたい」という若者が集まってくる場所となり、スタッフの平均年齢は35歳、現場の職人は20~30代が中心になっています。県外から移住したスタッフも多く、彼らの情報を発信することで「伝統産業は大変」という従来のイメージが、「色々なことにチャレンジできる地方の伝統産業」というイメージに代わり定着してきたように思います。
オリジナル商品の販売や異業種との共作、海外への発信など、これまでのやり方に捉われない挑戦を通して感じたことは、こんな時代だからこそ職人は新たな文化を作っていける存在になれるということでした。長く受け継いできた技術に向き合いながら新しい発想で変わっていく伝統工芸の現場が、これからのスタンダードになるように、常に前進していかなければならないという思いで、私たちは日々新たな挑戦を続けています。
今では発色銅板を用いて時計やワインクーラーなどのインテリア用品からホテル・レストラン・公共施設の空間に現代的な雰囲気で弊社の発色銅板が使われるようになり、高岡銅器の事を知らなかった方々や若い世代にも生活の一部として取り入れてもらうことができました。また、直近では銅板の紋様を転写した布でファッション分野のプロジェクトも進めており、今後更に新たな市場開拓を行い、高岡銅器業界を活性化していくことで「新しい伝統産業」として10年、20年と継続し次の世代に引き継いでいきたいと考えています。数十年先には、高岡銅器の発色といえば、インテリア・建築・ファッション分野でもスタンダードな存在になっていることを願っております。
伝統産業の業界に新風をおこし、付加価値の高い技術開発や商品開発を行っていくことで、売上も所得も向上することが出来、またU・I・Jターンを積極的に受け入れてきたことで移住定住の観点からも消費・納税・地域貢献など経済成長にも寄与できるとも持っております。今後もさらに全国からものづくりで仕事をしたい志願者を積極的に受け入れ、移住定住促進事業に協力体制をもって取り組んでいきたいと考えております。
TAKAOKA WAKU×2 AWARD 2020
受賞
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